湖上にて

よしなしごと

おすそわけ

今日は休日だ。

大阪の実家を離れ、今は神戸の田舎に住んでいる私だが、ここで暮らして1ヶ月が経った。スーパーは歩くには遠く、ぽつんと洒落たケーキ屋さんだけが、おもちゃ箱のように光る町だ。細長い川には小魚が泳いでいて、ゴマダラカミキリが勇ましく道路を横切る。辺りには猫じゃらしがぼうぼうと生えており、空はべらぼうに広い。

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旅がしたい気分だったので、コンビニでオニギリを購入し、ここで昼食とした。家から徒歩20分ほどの川だ。この川べりの急斜面を滑った先で座り込み、私は道中の回想に浸りながら、ノートに言葉を綴っていた。

ここに来るまでに起きたことは、金木犀の香りがずっと跡をついてきたということと、寝たきりのおばあさんが窓から世界を眺めていたのを目撃したことのみであった。医療用と思しきベッドから見る風景は、季節を隔てたとしてもほとんど変わらないだろう。でも、もしかしたら何かがあるのかもしれない。いやそんなものがなくても、私だって今、何を心配することもなくただ川の音を聴いている。白いレースの可愛らしい服がハンガーに吊るされていたのを思い出した。なんだか祈るような気持ちになった。

 

浅瀬には、白くて大きな鳥が踊る。腰掛けた身体の麓からカエルがぴょこんと跳ねた。カラスが川で水浴びをすることも、蜜蜂がキミドリイロの謎の物体を運ぶことも、私は知らず生きた。かつて過ごした街は大阪の真ん中、不便なことを探す方が難しいような大都会だったのだ。空はジグザグと薄く切り取られ、そのぶん人間が敷き詰まっている。知らぬマンションの灯りはいつだって明日の希望だった。カラスの眼差しはいつでもアスファルトを貫いていた。この町はただ少し空が広い、それだけで、まるでなにもかもが伸び伸びとしているように思えた。

「お姉ちゃん、そこで何しとん」

背後から声をかけられ、咄嗟に「あ、えと、日記を」と見上げると、おじいさんと小さな女の子が二人、こちらを見つめていた。視線に手招きされて立ち上がり、斜面を登れば「なんや、スケッチでもしてるんか」「今日は仕事が休みなんで、ちょっと、散歩しにきたんです」

雑談をいくつか交わしたあと、「今から栗拾いするんやが一緒にどうや」と誘われ、「ぜひ!!」と答えた。女の子は抱えた籠をいっそう身体に引き寄せ、こちらの様子を伺っていた。

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実は22歳、栗拾いをしたのは生まれて初めてのことだった。女の子と手を繋ぎながら、おじいさんと弾む会話、次々と落ちる大きな栗。中に3つ実が入っているものはラッキーなんだって。「(ご自分で)植えられた栗の木なんですか?」と尋ねると、「おー、昔からずっとあるなぁ。誰かが昔に植えたんやろなぁ」とのことで、それは非常に楽しいことだなぁと思った。和気藹々としてきた頃には、「じいじ、もうくらくなる、よるになっちゃうよー」という女の子の声を皮切りに、栗をたくさん抱えた一行はお家に帰っていった。一番小さな無口な女の子が、大きく手を振ってくれた姿が最後だった。おすそわけしてもらった沢山の栗を抱いて、私はまた川沿いを歩き出した。

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写真がうまくないので伝わらないが、川の斜面というものは中々に傾斜があり、草もぼうぼうで、私はいつも半ば引きずられる形で降りていく。栗の木から徒歩15分ほど北へ上がったところで、金木犀の香りが一段と強くなった。水辺ギリギリまで近付き、気分を良くした私は、そこで歌をいくつか歌った。

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誰かが花火をした跡だろうか。小さなキャンドルが残されていた。綺麗なものでもなんでもない、言わばゴミだが、人がそこにいたという証がなんだかあたたかかった。

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帰り道、愛について考えていた。私は、いろんな人から愛をおすそわけしてもらって生きるから、まだ死ねないな。今日はわかりやすい愛をいただいたから、少しくらい潤っても指はさされない。乾いたらまた川沿いを歩けばいい。眼の奥の水を全身に流そう。なにかに出会えるはずだ。

寝たきりのおばあさんの家の前を通った。風はまだ古くあたたかい。この休日を、あなたと少し寂しい日々に捧ぐ。