湖上にて

よしなしごと

会社を休職することになった

もうじき新卒2年目を迎えるところだった。

人事で採用の仕事をしていた。4月から後輩が入ってくるので頑張るんだよ、と上司に背中を押してもらっていたある日のことだった。体がベッドから起き上がらず、吐き気がひどい。また何かがうつのトリガーを引いたか、とため息をついた。残業続きの疲労か、元来の神経質な性格か。高校生の頃から定期的な不調があったので、そう焦らなかった。重苦しいまま、30分遅れで会社に到着した。

今日は笑えなくても構わない。体調不良ということで上司には伝えてある。業務だけを淡々とこなして帰ろう。覇気のない声で挨拶をした。どうか今日は定時で上がらせてください。

パソコンを立ち上げてメールボックスを開いた。仕事柄、毎日100件ほどのメールが届く。日中は忙しいので、朝イチで数件でも処理をしておかなければ、と早速1件のメールを見て私は固まった。文章を目で追えば追うほど、言葉が頭からこぼれ落ちていく。おかしい。書いてあることが全く分からない。......活字が読めない。やっとの思いで内容を理解したとき、背中で汗が一筋流れた。今度は、自分が入力している返信の文章が、正しいかどうか不安でたまらなくなったのだ。

「いつもお世話になっております。」「承知いたしました。」たったその程度の数行で時間を食いつぶした。間違っていたら不注意を叱られる、迷惑をかける。ぬるぬると食道の壁が蠢いた。

混乱の中、容赦なく問い合わせの電話を取り次がれ、何を言っているかも分からないまま対応した。おそらく致命的な失敗はしなかった。自分の高くなれない声だけが浮いて響いた。

昼休みは、会社の隣にある公園のベンチで一人、パンをひとつだけかじった。かつては、それなりに多めのパスタや弁当を食べる活力のある人間だったが、ここ数日はあまり食べられない。吐き気と腹痛がとにかく続いていた。そして、毎日同じものを食べた。昼食には同じパン、夕食には同じ味のパスタサラダ。何かを選ぶということが億劫で、いつもと違うということに怯えていた。

食後は寒さに震えながら足を組み、体を小さく畳む。デスクに戻ることは苦しかった。昼休みなのになんだかんだと電話を取り次がれるのが癪だった。ここでずっと音楽を聴いていられたらいいのに。恋人に何気ないLINEの返事をした。あとはもう顔を横に向けて眠ったり、その姿勢のまま目を開けたりする。ふと、鳩がポツポツと歩いている様子をみて、その丸々とした体を包丁で突き刺すことを考えた。昔から、心の調子をそういった妄想で測る癖がある。数秒ふけった後、気持ちがいいだろうなと頬を緩ませ、右手を軽く握りこむ。さぁさぁと空想の中で地を蹴っては、駆け出した足が一歩で止まる。そのたびに私は安心するのだった。

つかの間の休息の後、仕事に戻るも相変わらず文字は読めない。自分が何の業務をしているのかもよく分からなかった。記憶力はひどいものだった。いつもなら空で覚えていられるような業務の指示も、一瞬で抜け落ちてしまいそうになる。デスクは付箋だらけになった。元来それなりに記憶力はいい方だ。特に短期記憶には自信があった。怠け者の自分が、大阪で名の知れた高校や大学に合格したのも、おそらくこの記憶力のおかげだ。それがどうだ、今は何も頭にとどまってくれない。付箋に書いたメモの字も、干からびて死んだミミズのようにガタガタと歪んでいる。自分の字は普段から汚い方だが、それを考慮してもひどいものだった。おれは一体だれなんだろう。この無能はだれだ。絶望の中、仕事が終わった。2時間の残業の末、体調が悪いのでと一言漏らし、心の中で頭を下げて退社した。

 

翌日は、大学生の頃から通院している心療内科でのカウンセリングの日だった。目が覚めたはいいが、またもや体が起き上がらない。30分呆けたあと、なんとかベッドから這い出した。服を着替えることはできなかった。私はパジャマのまま電車に揺られ、5分遅れで病院に到着した。自動ドアのガラスに映った自分の姿は、寝ぐせのひどい肌の荒れた不潔な人間。とても20代前半には見えなかった。

遅刻を詫び、業務中に活字が読めず記憶が飛ぶなど諸々について相談したところ、先生からは休職しなさいと言われた。俗にいうノイローゼになっているとのこと。無力感と安心感、なんとも形容しがたい感情に一気に襲われた。週が明けたら会社に連絡をし、休職の相談をすることになった。

業務過多、ミスが増えて叱られたこと、重圧、上司のため息。他部署の課長から継続的に届く長文のLINE(内容は彼の好きな音楽について)。笑いながら腕を掌でトントンとたたいてくる後輩社員。健やかな自分であれば、気をそらして乗り越えられるすべてのことだった。誰かに話しても、さほど大きな問題としては取り合ってもらえないようなことだろう。相手が同性でも体に触れられることがこんなにも苦しいのは、自分がおかしいからだ。長文のLINEを返すのも、仕事のひとつと思えば平気だった。残業もそれほど苦ではなかった。そんなすべてが運悪く積み重なったのだ。「しんどい」は一本の鋭い針のような集合体となって、頭の脆い部分を突き破った。私は突然、無能になった。

 

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同日の午後、恋人と須磨水族園へ行った。本当は私の家でゆっくり過ごす予定だったが、どうしても外に出たくなり、突然のわがままを押しつけた。頭痛と吐き気がひどい。着ていく服が選べない。記憶がおぼつかない。それでもどこかに行きたかった。普通の人として、君とデートがしたかった。40分かけて選べたのは、何の変哲もないTシャツと薄青いジーパンだった。

海の風が気持ちいい帰り道で、休職することになったという話をした。予想通り、恋人の言葉は耳に痛かった。記憶がところどころ飛んでいるので細かいことは思い出せないが、現実的な話をたくさんしてくれたのだと思う。休職したあとは復帰するのか、休職期間中は何をするのか、お金はどうするのか。大切な話だ。私もそんなことを考えられたらよかった。自分が働けないということ自体をまだ受け入れられていない人間にとって、未来の話は重すぎた。押しつぶれて出血した心が逆恨みしないよう懸命に祈りながら、いつもの適当な言葉を探した。必死に会話して気づいたときには、君は他愛無い話を始めていた。健やかさが眩しかった。

 

昨日、先生と約束した通りに会社に休職の連絡をした。上司からは優しい返答をいただいた。今週はとりあえず有給休暇を使用して、丸一週間休みとなったが、来週からは診断書と休職申請書を提出し、休職となる運びだ。

今の心境としては、とりあえずこうしてまた文章が書けたということに感動している。調子が悪い時を除いて、活字はそれなりに読めるようだ。人生の後ろめたい夏休みが始まろうとしている。一体何ができるのだろう。治療に専念するとして、復職はできないのかもしれない。せめてこうして、無限にも思える時間の中で、今日から言葉を少しずつここに残していこうと思っている。