湖上にて

よしなしごと

釣りの話

本日、少し肌寒く、晴れ。‪

大阪府の千早川にて、ニジマス釣りをした。‬

 

私は幼稚園児の頃、魚図鑑の読みすぎで背表紙を破壊した。年中さんから年長さんまで、一途にいきものがかりを務めていたような気もする。

そして現在、魚釣りに関しては全くの無知であるが、密かに憧憬の念を燃やす20代になりました。

そんな私がしたいのは、本日、ニジマスの喉にひっかかっていた釣針の話です。

 

魚は釣って終わりではない。釣針を外さなければならない。

その針が時々、魚の喉奥で引っかかっていることがある。こうした釣針を取ることが、初めての私には難しかった。

方法として、‪なんとなくペンチで針をグイッと引っ張ればいいように思っていたが、実は魚の喉奥に押し込むようにするらしい。(これは帰宅後に知った。)

 

まずは、恋人が記念すべき一匹目を釣った。そのマスは釣針を飲み込んでいたが、隣の気のいいおじさんが、お手本を見せて外してくれた。

二匹目。釣れた喜びに乗っかり、意気揚々と釣針を外そうと試みるが、私の慣れない手つきが魚を苦しめる。喉を高く突き出した格好で、鱗はすっかり乾いている。溢れ出した血と内臓でエラがぬめって、あらゆる輪郭が濁っている。恋人が隣で「かわいそう...ごめんね。」と小さく呟いている。私は胸が苦しい。

 

終には、情けないことに、恋人に釣針を抜いてもらった。魚図鑑を破壊したことがある程度で、魚に関する全ての事柄と友達になれると思い込んでいたので、不器用な両手にがっかりした。魚は死んでしまった。

何より私が悲しかったことは、初めこそ、震えてしまいそうなほど申し訳ないと思っていたくせに、マスから大量の血が溢れてくる様子と死んでいく目を見ていて、いつしかサディズム的な、ある種の快感のようなものを覚えてしまっていたことである。未だにあの興奮の正体は分からない。しかし、私の中に歪んだ何かがあることは確かで、そのことを思うと心臓がヘンな感じになるのです。

 

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釣り上げたマスは、キッチンで塩焼きと唐揚げに調理してもらった。

心なしか、いつもより深く「いただきます」と手を合わせ、いただく。衣もぱりぱり、塩もしょっぱくて美味い。でもそれよりなにより、甘く舌でとろけるニジマスの身、ふわふわ!!皮も小骨も、なにもかもが本当に美味しい!

ありがとう、ごちそうさまでした。