湖上にて

よしなしごと

ひとりメシデビューにおすすめの店

1位 くら寿司(最近の)f:id:nekzame:20230530175956j:image

受付は機械がやってくれるため、受付係の人間がいない(店舗によるかもしれない)。また、最近はテーブル間の仕切りが高い店舗が多く、他の客は一切見えない。感覚としては個室に近い。注文しても素早いレーンが運んでくれるし、会計も全て機械で済む。皿は投入口に入れて終わりなので、そうそう他人と接触する機会がないのである。ビッくらポンがやかましいならテーブルの端末で拒否できる。ふたつ難点を挙げるとすれば、ガラガラの店内では注文の品が届くときの通知音がちょっとデカい。でもこれは、混雑した店内を想定すれば仕方のないことだし、すぐに慣れる。あとは、会計のボタンを押したときに、皿の枚数の最終確認のために店員が召喚されることがある。召喚されないこともあるので、滞在時間や混雑具合によって異なるのかもしれない。


おそらく、ひとり〇〇を苦手とする人間は、店員や客に「アッこいつひとりだ」と思われる恐怖を抱いている。学生時代にボッチ飯&レストルーム飯を経験した私でさえ、その感覚はまだ少しあるので気持ちは分かる気がする。そのアッひとりだ視線が限りなく0に近い場所は、やはり落ち着いてご飯に臨めることだろう。そういう点では、くら寿司は大変優れていると言える。


ところで私のボッチ飯事情だが、大学生の頃には、学生街にあるレストランやラーメン屋に訪れたことは4年間で3回ほどしかない。主には、コンビニ弁当もしくは学内のパラソルで買った弁当を、学科棟の離れにある空き教室で食していた。そこには滅多に人間がこないため、勝手にクーラーを稼働させ、椅子を並べて寝転んでもいいしギターを弾いても構わない。大学という騒々しいフィールド唯一の聖域だった。

わざわざ空き教室に逃げる理由は、同じ学科に苦手な生徒がいたためである。その生徒は、私に好意的に話しかけたかと思うと、精神病マウントを取り続けるという厄介者であった。精神病であることは決して優位なことではない。優位ではないのだが、時折、芸術的な人はこころを病んでいるとか、精神病が何か美しいものであるという妄想を抱く人がある。創作物などにおいては、確かにそういう場合もあるかもしれない。だが、精神病であるから素晴らしい曲が書ける、素晴らしい絵が描ける。そんなもんは大抵ありません。精神障害者手帳2級を取得した私だが、芸術的な側面でずば抜けて秀でたものは特にない。それは精神病患者になる前もなってからも変わらない。私にはそういう目覚しい才覚はないのだ。確かにうつ病になって、簡単なものだが曲が書けるようになった。しかしそれは病気がトリガーになったわけではなく、ボカロPの友人から録音機材を譲り受けたり、作曲ソフトのことを色々と教えてもらった時期だったからだと思う。仕事を失い体も動かず、曲を書いて知り合いに聞かせることしか自分の輪郭を保てるものが他になかったし、何より膨大な時間があった。今も病気は完治していないが、話したいことがあるときに曲を書いたり書けなかったりするし、かわいいものが楽しいから絵を描いたりしている。それらがたくさんに抱きしめられることはないと思う。それでもいい。ただ、もしあなたが、精神病を患う誰かの創作物を好きになったとき、その作品が美しいのは精神病が理由ではないのだと信じてほしい。

健康な人間も精神病患者も等しく、それぞれの力でもって、素晴らしいものや駄作を創造している。大好きなアーティストが素晴らしい曲を書いたのは、病気のためではない。素晴らしいものを創造できない自分を、健康であるからと責任転嫁してはいけない。素晴らしいものを創造する人間のこころには(あるいは脳には)、何やら煌めく石や花がある。ただそれだけである。それは精神が蝕まれてできた腫瘍ではない。生まれ持ったものや、努力で獲得した賜物である。病状が回復した時期から創作が滞るようになったのなら、きっとそれらの寿命が尽きたか、石や花が輝くための太陽か月かが欠けただけである。


2位 ラーメン屋

3位 サイゼリヤ

以上です。